技術革新により、自然界や、様々な疾患の根本的な原因をより深く理解することができます。毎年、新たな技術や手法が、研究者による疾患のメカニズムのさらなる解明を促しています。これにより、私たちは細胞や組織のより深い知識を得て、生命を構成する要素がどのように組み合わされているのかを、より正確に思い描くことができます。
2022年は、引き続きCOVID-19の大流行が大きな話題となっていましたが、バイオテクノロジー分野では、急速な技術革新が進んだ1年となりました。SARS-CoV-2ワクチンの成功により、mRNAをベースとする免疫療法やワクチンは急速に進歩し、2030年には世界市場は377億6000万ドルに達すると見込まれています。
また同時に、シングルセル解析手法の進歩により、細胞の不均一性について今まで以上に詳細に調べることができるようになりつつあります。次世代シーケンシング (NGS) や、マイクロ流体力学、計算生物学、抗体標識技術、増幅技術の進歩により、従来の大量解析やゲノム全体またはトランスクリプトーム全体の解析といったアプローチから、遺伝的に同一の細胞集団であっても、疾患に特異的な細胞におけるRNAやタンパク質、タンパク質の翻訳後修飾を解析する、シングルセルオミクスへの移行が進んでいます。
組織全体における細胞の関係性を調べることができる空間生物学の進化と、これらの技術を組み合わせることにより、細胞内の相互作用や疾患の進行、治療効果についてより深く理解することができます。
この劇的な変化を乗り越え、今後数年で大きく発展すると予測される技術革新や治療法にはどのようなものがあるのでしょうか。CSTのトップ科学者たちの意見を聞いてみました。以下に、彼らのコメントを掲載します。
「空間生物学は、シングルセルオミクスを空間的に捉え、組織の微小環境に関する新たな知識をもたらしてくれます。新たな機器により、これまで不可能であった実験が可能となり、マルチプレックス化したバイオマーカー解析を用いて、組織の空間的な状態を調べることができるようになりました。この分野の科学者たちが抱える現在の課題は、マルチプレックスによるイメージング実験の設計や、最適化、実行、解析に膨大な時間とリソースを必要とすることにあります。しかし、組織染色用に自動化されたマイクロ流体デバイスの進歩と、高度なイメージング機能や計算ツールを組み合わせることにより、空間生物学実験の実施と解析が加速されつつあります。
これらのシステムはさらに発展し、空間プロテオームと空間トランスクリプトミクスを統合した、組織全体にわたる、シングルセルレベルの分解能をもつマルチオミクスのアプローチが実現されるかもしれません。2023年以降、科学者たちは、空間生物学用の新たな技術により、細胞そのものや細胞内の構造を維持したまま、組織サンプルにおける数百もの表現型や機能のバイオマーカーを定量し、可視化することができるようになるでしょう。 」
「ここ数年でがん免疫学分野は大きく前進しており、革命は今も続いています。免疫治療が時々失敗する理由や、T細胞の状態や機能を制御するメカニズムについて、より深い理解を得ることができています。この情報を、より良い治療法の設計に応用することにより、明るい兆しが見え始めています。
養子細胞療法、特にCAR-T療法は、引き続きこの分野で大きな注目を集めています。T細胞の機能と疲弊を制御するメカニズムを、患者の体外での遺伝子組換えに適用する技術は、今後発展が予想される分野の1つです。理論上では、この技術により、細胞は微小環境内における抑制的なメカニズムに抵抗できるようになり、固形がん内でより長時間機能する細胞療法が可能になります。固形がんにおける有効性を改善するために、T細胞を遺伝子工学的に操作する新たなアプローチは、今後ますます注目されることでしょう。
また、今年、米国食品医薬品局は、T細胞の機能を抑制的に制御する免疫チェックポイント分子であるLAG-3を標的とする治療法を初めて承認しました。FDAが、免疫チェックポイント分子であるPD-1とCTLA-4に対する最初の治療法を承認してから数年が経過しており、3番目となる今回の承認は重要な意味をもちます。さらに、ミスマッチ修復機構の欠損による局所進行直腸がんなど、PD-1に関連する興味深い臨床試験結果の報告が続いています。免疫チェックポイントの分野は、まだ未知な部分も多く、今後数年でさらに解明されることを期待しています。」
Emily Alonzo博士、免疫学およびがん免疫学、抗体開発ダイレクター
「標的タンパク質分解 (TPD) は、私たちが注目している興味深い分野です。TPDは、既存のタンパク質分解経路を利用して、疾患の原因となるタンパク質を選択的に破壊するよう設計された、新たなタイプの薬物を用いた治療戦略として期待されています。これまで、治療は不可能であると考えられていた疾患の原因となるタンパク質を標的化できる可能性があり、TPDは低分子阻害剤の枠を超えた広がりをみせています。例えば、すべてのがんのおよそ25%に変異がみられるKRASは、TPDを用いれば、もはや治療が不可能ながん遺伝子ではなくなるかもしれません。
しかしながら、TPDはまだ始まったばかりであり、安全かつ効果的な臨床治療法を確立するには新たなブレークスルーが必要です。この新たな技術を用いて、研究者たちはどうやって 従来の手法の欠点をのりこえ、既成概念に囚われない思考で、これまで不可能であった新たな方法による疾患の標的化を可能とするのかが、大変興味深いところです。」
「シングルセル解析は、生物学研究のあり方を一変させました — 現在では、シングルセル実験を行わずに、主要な学術誌に論文を投稿することはほぼ不可能です。近年では、シングルセルRNAシーケンシング (scRNA-seq) が主流ではありますが、今後は、様々な疾患状態におけるタンパク質活性のレベルを解析できるシングルセルプロテオミクス(SCP) がさらに発展すると考えられます。シングルセルプロテオミクスはまだ普及していませんが、高い解像度と感度をもつため、シングルセル研究は核酸を超えて、特に定量解析と組み合わせることにより、プロテオーム動態のより深い理解と特性解析が可能となります。
これは、AIやディープラーニング (DL) の進歩と密接に関係しています。これらの計算ツールにより、大規模なデータセットの解析能力が向上し、個々の患者を構成する遺伝、エピジェネティクス、エピトランスクリプトーム、プロテオームなどの背景を明らかにすることができます。今では、薬剤が患者に対し効果があるのかどうかを予測し、投与量を最適化するだけでなく、個別化治療の開発にDLを適用することができるようになりました。これは、がんワクチンの復活により実証されつつあります。がんワクチンは当初、有望な治療法とされていましたが、2010年代にはほぼ姿を消していました。しかし、COVID-19の大流行によるmRNA研究の高まりと次世代シーケンシングにより、個々の患者の腫瘍に適した新抗原を用いたワクチンを予測、設計、作成することができるようになりました。
これらの技術革新により、「基礎研究から臨床へ、そして臨床結果を基礎研究へ」の流れが今まで以上に重要な意味をもちます。研究者が、個々の患者さんに何が起きているのかをより深く理解するにつれ、疾患の不均一性や疾患メカニズムの多様性が明らかになっていくのです。治療法の調整または新たな治療法のデザインにより、研究者は個々の患者に対し、より効果的な個別化医療を実現できるだけでなく、新しい疾患メカニズムを標的とし、似たようなプロテオーム、エピジェネティクス、エピトランスクリプトームプロファイルを持つ他の患者に有効な、新たな治療メカニズムを解き明かすことができる可能性があります。」
Roby Polakiewicz博士、最高科学責任者
様々な技術の発展は最高点に到達し、1つの転換点を迎えています — それぞれの技術が組み合わされ、新しい研究の道が開かれようとしています。2010年代初頭のCRISPER開発時も、このような状況を目の当たりにしましたが、今まさに新たな転換点に到達しようとしています。計算ツールの発展により、空間生物学やシングルセルオミクスなどの、新しく洗練された技術から集められた大量のデータを理解することができるようになります。
バイオテクノロジーの世界では様々なことが起こっており、それらのすべてをここで紹介することは不可能です。ここでは、今後数年間でさらに進化と成長が続くと予想される重要な領域をいくつかご紹介しました。
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