先月、米国がん学会の年次大会 (AACR 2023) が開催され、がん研究の様々な分野を専門とする科学者や臨床研究者22,000人近くが集まりました。革新的な新発見となる可能性がある多くの研究成果が発表されており、近年、この分野が大きく進歩していることが分かります。
引き続き、がん免疫学が発表やポスターの大半を占め、がんの発生や治療において免疫系が果たす多様な役割に対する理解が非常に深まっていることを示しています。大会では、二重特異性抗体 (BiTE) やキメラ抗原受容体 (CAR) T細胞、腫瘍抗原特異的なTCR-Tなどの免疫療法が注目されました。CSTの免疫学製品デザイン・戦略部のフェローであるAmrik Singhは、「異なる抗原を標的とする治療法の数が増え、さらに遺伝子編集技術と合成生物学を組み合わせることにより、これまで治療介入に屈しなかったタイプのがんを攻撃できる可能性が高まっています。」と述べています。
AACR 2023のCSTブース
本大会では、上述の分野に加え、ますます高度化するがん研究者が用いるツールや技術も注目されました。CSTの細胞生物学製品マーケティングマネージャーのPaulina Leung-Leeは、「空間生物学の分野は間違いなく成長しており、多くの出席者が大きな関心を寄せていることは明らかでした。空間生物学プラットフォームに関する講演は、ほぼすべてが満席でした。」と述べています。
また、シングルセルや空間的なデータの解析だけでなく、個別化医療を可能にする方法として、がんの複雑性の解明に機械学習と人工知能を活用するための技術的な進歩も注目されました。増加の一途を辿る前臨床試験や臨床研究の膨大なデータセットを解釈するための新たな技術が、患者1人1人の生物学に基づいた新たな標的治療の開発を促進しています。
製品デザイン・戦略部シニアダイレクターのAntony Woodは、「ますます拡大する、生物学および生化学の情報に基づいた知識を用いて、治療法を巧妙に開発することができるようになったことにより、標的治療の今後の展望が大変有望視されています。患者1人1人の生物学に基づく個別化医療は、現実のものになりつつあります。」と述べています。
個別化医療に関する最も注目すべき例の1つとして、Moderna社とMerck & Co.社による、黒色腫における個別化mRNAワクチンの良好なデータの発表が挙げられます。これらの画期的な新しいワクチンは、健康な組織にも存在する腫瘍に関連する標的ではなく、個々の腫瘍の変異から発生する新抗原を標的とします。mRNAワクチンとMerck社の免疫療法チェックポイント阻害剤であるKeytrudaを組み合わせた治療は、再発または死亡リスクを44%低減しました。
Antonyは続けて、「しかし、がんは治療に応答して進化し、驚くほど効果的に抵抗性を獲得し続けます。個別化された治療法の可能性は大きなものである一方、がんの抵抗性の克服は今後も大きな課題として残るでしょう。」と述べています。
大会のオープニングセッションの大半が、KRAS腫瘍の変異体の標的化に関する最新の発見についてであったことからも分かるとおり、KRASシグナル伝達経路の標的化における技術の進歩も注目されました。この分野に大きな進歩があったことは間違いありませんが、広範囲にわたる持続的な効果を確実なものにするには、さらなる研究が必要です。腫瘍と、非常に動的な微小環境との相互作用を考慮した複数のアプローチが進歩し続けていますが、多くの側面において、これらの相互作用を完全に理解するには程遠い状態です。
大会で発表された多くの情報を解析するため、CSTの科学者が関心を持った動向や講演の概要、がん治療法の今後に関して最も期待している分野を紹介します。
「AACR 2023では、様々な種類の固形がんへの攻撃に、CARを発現する改変免疫細胞の力を活用することが依然として大きな関心の的となっています。より持続性があり、免疫抑制性のがん微小環境を無効化できる免疫細胞の作製に、ナチュラルキラー (NK) 細胞やマクロファージなどの異なる細胞プラットフォームと、合成生物学や遺伝子編集技術を組み合せた技術が用いられています。
CAR-T細胞療法開発の先駆者であるCarl June博士は、「The Unlikely Development of CAR-T Cells」と題する発表で、単一のCARの構造体を用いて複数の血液がんを標的とする新しい方法を紹介しました。ペンシルベニア大学のJune博士の研究室では、血小板と赤血球以外のすべての造血細胞の細胞表面に発現しているCD45抗原を標的とする、CAR-T細胞の作製に取り組んでいます。臨床で観察される血液悪性腫瘍においても、CD45の発現が確認されています。June博士の研究室では、抗CD45 CAR-T細胞に遺伝子編集技術を適用し、CD45の機能を保持しつつ、CAR-T細胞が互いを攻撃することを防ぐために、CARのscFvが認識するCD45の細胞外ドメイン内のエピトープを除去しました。さらに、患者の造血幹細胞 (HSC) コンパートメント内のCD45に含まれるエピトープ部位も除去しました。
遺伝子編集された抗CD45 CAR-T細胞と遺伝子編集されたHSCを用いることにより、野生型CD45を発現するCD45陽性血液がんを完全に除去すると同時に、CAR-T細胞による攻撃に抵抗性がある新しい造血細胞コンパートメントを確立することができます。」
「結晶学などの、従来のタンパク質のモデリング方法では、構造的な特徴 (低分子による効果的な治療の対象となる、典型的な深いポケット) を持つのは、タンパク質のほんの15%ほどであることを示唆しています。これは、新しく特定される疾患に関連するタンパク質の85%が創薬不可能と判断される可能性があることを意味しています。しかし、ペンシルベニア大学医学大学院のGreg Bowman博士は、タンパク質が非常に動的であることを考慮したコンピューターシミュレーションと機械学習を、生物物理学のデータと組み合わせて解析することにより、多くのタンパク質には従来のタンパク質構造解析では可視化できない、しかし低分子標的化の候補となる可能性がある、いわゆる「未知のポケット」が含まれていることを示しました。本会議で「What if all your favorite proteins are druggable」についての発表を行ったBowman博士は、複数の疾患関連タンパク質を用いて、この概念の原理実証実験を行いました。さらに、計算科学による「未知のポケット」の特定に焦点を当てた、世界的な神経ネットワークのオープンソースであるPocketMinerを紹介しました。ここから得られるデータは、これまで治療の対象外と考えられていたタンパク質の約50%に「未知のポケット」が存在することを示しています。
この発見は画期的であり、治療の対象となるプロテオームを飛躍的に拡大できるかもしれません。」
「AACR 2023では、腫瘍特異的な薬物送達の新たな技術が話題になり、これはがん治療の未来に大きな影響があるのではと、大いに関心を持ちました。特に、2つの講演が印象に残っています。
1つ目は、スタンフォード大学のJennifer Cochran博士による「New Concepts in Drug Discovery and Engineering」であり、ペプチドベースの薬物送達システムに関するものでした。Cochran博士による新たな手法は、in vivoで腫瘍に結合することが知られている、腫瘍関連インテグリンのPIP (Polyspecific integrin-bind-ing peptide) を用いています。PIP-薬物複合体は低分子であり、腫瘍を容易に侵入する有望な薬物送達方法です。発表で取り上げられていたモデルマウスでは、PIP-CpG (TLR9アゴニスト) による治療法が、がん微小環境 (TME) を腫瘍促進性から抗腫瘍性に変化させました。
2つ目は、パデュー大学のAndrea Kasinski博士が発表したもので、化学的に修飾したmiRNAを細胞内に送達させるために低分子が用いられていました。Kansinkri博士は、操作したmiRNAを用いることにより、一般的に寿命が短いというmiRNAの問題を解決することができました。Kaninski博士が発表では、モデルマウスにおいて有望な結果が得られた葉酸標識済みmiRNA-Fola-FM-miR34を例として挙げていました。低分子を用いて改変したmiRNAの利点の1つとして、既存のmiRNAは通常、複数の標的に対し特異的であるため、同時にがんに特異的な複数の標的を対象とすることができます。」
「白血病や神経膠腫などの小児がんの主な原因に、クロマチンタンパク質の変異や融合があります。小児や青年患者がより良い選択肢を得られるように、引き続き基礎研究とトランスレーショナル研究の両方を前進させていくことが重要です。
これらの標的の候補の1つに、RNAポリメラーゼIIとの相互作用を介する転写の調節や転写の伸長機構に関与することが多い、ヒストンアシルトランスフェラーゼであるENL (Eleven-nineteen leukemia) があります。様々ながん、特に白血病において、ENLはヒストンメチルトランスフェラーゼであるMLL (Mixed-lineage leukemia) の一般的な融合パートナーであり、白血病の発症に重要ながん遺伝子融合タンパク質を生成します。「Reading the Epigenetic Landscape: New Mechanisms and Therapeutic Opportunities」と題する発表では、Liling Wan博士は白血病モデルマウスにおいて、クロマチンからENLを取り除き、細胞分化を促進し、生存期間を延長させる、強力で経口投与可能なENL阻害剤を紹介しました。これは、現在放射線治療と骨髄移植に頼らざるを得ないENLを原因とする白血病患者にとって大変重要な発見です。この新しい化合物が、将来これらの患者における治療の選択肢となるかもしれません。
Wan博士はさらに、患者にみられるENLにおける小さな挿入や欠失などの変異による、ENLの驚くべき機能獲得に関するデータを紹介しました。これらの変異の結果、ENLにおいてβシートのわずかな伸長が生じることにより、特定の遺伝子上で機能的な凝集体が形成され、発がんが促進されます。このENL変異の発現により、マウスにおいて白血病の発症が促進されました。また、変異原性ENLを内在性レベル以上に過剰に発現させると、非機能的な凝集体が形成されることも報告しました。凝集体の形成と調節におけるがん遺伝子的役割は、さらに研究を続ける価値があります。」
AACR 2023は、CSTにとっても大きな経験となりました。5枚のポスターがAACRプログラム委員会によって受理され、弊社の科学者による、がん研究を前進するための斬新な成果が注目されました。養子細胞療法やキナーゼシグナル伝達、分子/細胞生物学、遺伝学、およびがん生物学にわたるAACRセッションで、これらのポスターを発表しました。中でもA Multiscale Approach to Quantitatively Evaluate the SMAD Signaling Pathwayと題するポスターは、Exhibitor Theater Talkで取り上げられ、Agilent Technologies社と共同で発表しました。
ポスターと口頭発表の録画は、下記よりご覧いただけます。
AACR 2023のCSTブースでの弊社チーム
AACRでは毎年、CiteAb社が世界の研究用試薬分野のライフサイエンス機関を対象に、様々なカテゴリーの科学論文における製品の引用数に基づいて優れた業績に対する表彰を行います。CiteAb賞は、様々な治療法における革新性を分野別に表彰するものであり、多くの場合、製品の品質や影響、そして人々の指標として用いられます。CSTは今年、3つの部門で表彰されました。
左から:Amrik Singh (CST免疫学製品デザイン・戦略部のフェロー)、Andrew Chalmers (CiteAb最高経営責任者)、Darcy Birse (CST最高商務責任者)
ポスター:Spatial resolution of tumor and immune cell lineages in the hypoxic microenvironment of pancreatic ductal adenocarcinoma (PDAC) (Leica Microsystems社との共同発表) |
|
ポスター: Reproducibility in spatial biology: reducing variables to improve the reliability of insight generation (Leica Microsystems社との共同発表) |
|
ポスター:A Multiscale Approach to Quantitatively Evaluate the SMAD Signaling Pathway (Agilent Technologies社との共同発表) |
|
ポスター:Analysis of Epigenetic Markers and Mechanisms in Disease: Your Guide to a Successful CUT&RUN Assay |
|
プレゼンテーション:A Multiscale Approach to Quantitatively Evaluate the SMAD Signaling Pathway (Agilent Technologies社との共同発表) |
AACRでのポスター発表や口頭発表の詳細をご希望の方は、こちらからお問い合わせください。
23-CAN-05950