認知症は多くの人にとって避けられない疾患であり、神経変性疾患としての側面と、加齢による自然なプロセスとしての側面を有しています。アルツハイマー病 (AD) は、代表的な進行性の認知症であり、時間の経過とともに症状が進行していきます。現在のところ、ADの治療や予防、進行を遅らせるための有効な手段は見つかっていません。
AD以上に不安や悲しみを生み出す疾患はほとんどありません。世界中で4000万人以上の人が症状を伴うADを罹患しており、おそらくその2 - 3倍の人が、現在、発症前段階または無症候段階にあると推定されています。ADを発症すると多くの場合、認知機能が著しく低下して会話能力、歩行能力、摂食能力が低下し、全身性の合併症によって死に至ります。2050年には1億3000万人がADに罹患すると予測されています (図1)。
図1:2050年までのアメリカ合衆国におけるアルツハイマー病の推定罹患者数。アルツハイマー型認知症を罹患する推定年齢層を色分けしてあります。
さらに、米国では高齢者向け医療保険制度と低所得者向け医療費補助制度だけで、経済的負担は2050年までに7.58兆ドルになると推定されています。この疾患は患者だけでなく、家族や介護者にも大きな影響を与え、近い将来に治療法や予防法が改善されなければ、健康的、経済的負担は増大していきます。World Alzheimer Report 2015の経済分析によると、ADはこの疾患に対処する手段を持たない、社会経済地位の低い人口層に深刻な影響を与えています (図2)。この分析から、2050年には低所得および中所得国の3分の2の人々が、ADの影響を受けることになると予測されます。
図2:2050年までの社会経済集団別アルツハイマー病推定罹患者数。(World Alzheimer Report 2015、Alzheimer’s Disease Internationalより)
神経疾患の一部には、治療法に大きな進歩がみられたものもありますが、アルツハイマー病の有効な治療法は見つかっていません。AD治療の理想的なアプローチとして、発症前段階で適切なバイオマーカーを検出し (図3)、症状の進行を止める、あるいは大きく遅らせる治療法を開発することが挙げられます。このように、信頼性の高いバイオマーカーの同定は、アルツハイマー病研究の究極の「聖杯」ですが、神経変性疾患の研究が進歩しているにも関わらず、明確な答えが見つかっていません。
図3:Jack CR et al. Lancet Neurology 2013より引用
歴史的にアルツハイマー病の生物学的メカニズムの研究は、 Amyloid βタンパク質 (Aβ) からなるアミロイド斑や、Tauタンパク質からなる神経原維変化 (NTF) などの、毒性タンパク質の加齢に伴う凝集にフォーカスされてきました。これらの沈着は主に中枢神経系の神経細胞に影響を与えますが、AβとTauの存在はミクログリアやアストロサイトなどの他の脳細胞にも影響を与えます。
神経細胞で発現するTauには6つのアイソフォームがあり、Tau 3Rと呼ばれる3つの微小管結合ドメインを持つアイソフォームが3つ (アイソフォーム2、4、5) と、Tau 4Rと呼ばれる4つの微小管結合ドメインを持つアイソフォーム (アイソフォーム6、7、8) が3つあります。これらのドメインを介してTauは細胞骨格を安定化し、シナプス形成を促進します。これらの機能特性に加え、正常脳、AD脳の両方で、Tauは広範囲のアミノ酸残基にリン酸化を中心とした多くの翻訳後修飾 (PTM) を受けます。微小管結合ドメインのアミノ酸残基などのいくつかの部位がAD脳のみでリン酸化されます。後者は疾患の初期段階のピンポイントバイオマーカーとなる可能性があり、AD治療への応用が期待されます。
治療法の発見と検証への取り組みは未だ認可薬の開発には至っておらず、この理想的なマイルストーンの達成法の議論が急務になっています。したがって現在の大きな課題として、ADのバイオマーカーを検出するために非侵襲的で安価なシステムとアプローチを開発すること、疾患の非常に早い段階から患者を追跡すること、理想的には家族の病歴から発症前段階や無症候段階の個人を特定することが求められています。このような情報を得ることで、この疾患の罹患者により良い治療を施すことができるようになります。
前臨床研究や臨床研究で、モノクローナル抗体でAβを補足し、隣接するニューロンに広がる前に病理的な伝播を防ぐことに成功しています。このアプローチは、陽電子断層撮影 (PET) で脳活動の変化を測定することで評価します。ごく最近、Ely Lilly社のTauvid (Flortaucipir F18) がFDAの認可を受けました。これは生きたAD患者の脳の、NFTに凝集したTauをPETで検出できる薬剤です。これは患者のTauの病理を解明するための大きな一歩ですが、発症前段階や臨床的にADと診断された患者のTauをイメージングするには莫大な費用がかかります。このため、現在これはADに伴う変化を検出するための主要な手段ではありません。
一方、多くの研究からAD患者の脳脊髄液 (CSF) でTauやAβが検出され、疾患の進行とともに増加することが分かっており、これらのタンパク質がADのバイオマーカーとして利用できることが示唆されています。しかし、CSFの採取は侵襲的で費用もかかることから、AD患者で定期的に行うのは困難です。
これらの技術は、患者のADの特徴を検出するための重要な手段となりますが、将来の治療法を見据えた前臨床段階のスクリーニングには、長期的な変化を追跡するのに適した非侵襲性の血液バイオマーカーが望ましいと一般に考えられています。これは、特にADの臨床試験において重要で、早期介入への取り組みも問題となります。比較的短い臨床試験を通して、神経変性や認知機能低下のリスクが高い患者を確実に特定することが重要です。