抗体の発見以来、何十年にもわたる研究開発によって技術が大きく進歩してきました。このため、今日では研究に用いる既製の抗体試薬を容易に購入することができます。抗体の必須知識Part 2では、抗体の多様性がどのように生まれるか、また抗体がどのように分類されるかについてお話ししました。Part 3では、抗体技術が最初にどのように発見され、この数十年間でどのように進化したかについてご紹介します。
抗体技術の背景と歴史的発展を理解することで、現代の実験技術における抗体の利用法とその限界の理解を深めることができます。研究用に抗体を購入することは容易になりましたが、これらをご自身で作製するつもりで考えてみてください。それにより、信頼性の高い結果が得られる可能性が大幅に上がります。
抗体の発見から研究に不可欠な試薬として利用されるまでの道のりの発端は、18世紀初頭に行われた初の天然痘接種の研究です。ヒト天然痘患者の傷から採取した物質を健常人の皮膚に移植することで、将来の天然痘感染を予防できることが示されました。重要なのは、これらの実験は免疫のメカニズムに関する最初の知見であるという点です。安全性への配慮から、1796年にEdward Jennerによって天然痘よりはるかに軽い疾患である牛痘患者の傷から採取した物質を使用する方法が採用されました。1885年にはLous Pasteurによってこの方法はさらに改良され、弱毒化したウイルスを使用することで疾患の発症を抑えることができるようになりました。
その後、免疫反応を理解して利用するための努力は比較的急速に進みました。19世紀末、破傷風やジフテリアに感染したラビットから採取した血清が、マウスに疾患への抵抗力を与えることを発見したvon Behring博士と北里博士はノーベル賞を受賞しました。この発見に続いて、Ehrlich博士は免疫細胞は異物対して特異的に結合する受容体で覆われているという側鎖説 (図1、下) を提唱しました。Ehrlich博士は、このような相互作用が起こると免疫細胞が活性化してより多くの受容体を産生し、その受容体が血中に放出されて不要な物質の排除を促進すると考えました。
側鎖説は、現在抗体として知られる分子を初めて説明したものとして広く認識されています。その後、抗体-抗原結合仮説の説明が提唱され、その後すぐに抗体の産生源としてB細胞が特定されました。
20世紀後半には抗体の分子構造が解明され、ハイブリドーマ技術が開発されました。この技術ではin vivoで免疫応答を起こしてB細胞を増殖させ、B細胞クローンの選択を行います (抗体の必須知識Part 4で詳しく解説します)。この技術によって、Edelman博士、Porter博士、Jerne博士、Köhler博士、Milstein博士がそれぞれノーベル賞を受賞しました。
この頃、フローサイトメトリー、ELISA (Enzyme-linked immunosorbent assay)、ウェスタンブロット、クロマチン免疫沈降 (ChIP) など、多くの免疫アッセイも開発されました。PCR (Polymerase chain reaction) をはじめとした近代的な分子クローニング技術が開発され、ハイブリドーマ技術と抗体を作成する様々な組換え技術が組み合わされることで、非常に多様な抗体ツールが利用できるようになりました。また、特筆すべき出来事にHarlow博士とLane博士の著書「Antibodies: A Laboratory Manual 」が出版されたことが挙げられます。1988年に出版された本書は、間も無く世界中の研究室や科学図書館に所蔵され、研究に用いる抗体を開発したいと考える研究者にとって欠かせない参考書となりました。
技術の進歩により、90年代には翻訳後修飾 (PTM) を特異的に検出できる抗体が開発されました。これはリン酸化特異的抗体に始まり、メチル化、アセチル化、その他タンパク質修飾を検出するツールへと続いていきます。このような修飾は重要で、タンパク質の活性化状態や生物学的機能の変化に関与し、シグナル伝達経路のオン/オフの切り替えにも関わります。すなわち、これらの抗体試薬によってシグナル伝達活性の特性解析における、新しく刺激的な可能性が開かれたと言えます。これはCell Signaling Technology (CST) が創立された時期でもあります。
CSTやその他の提供元から購入できる研究用抗体の数が徐々に増え始め、過去10年間で市販抗体は飛躍的な成長を遂げました。今日では実験用抗体を抗体を購入する際、もちろん選択した標的やアプリケーションにもよりますが、多くの選択肢がある場合もあります。RUO (Research use only) 抗体を引用している論文は年々着実に増加しています。
これだけ多くの抗体を簡単に入手し、手軽にこれらを用いた研究成果を発表できるのに、なぜ再現性の危機が発生したのでしょうか?その理由の1つとして、以前は不可能であった、抗体を安易に購入して免疫アッセイに用いることが簡単になり過ぎたことが考えられます。抗体を取り巻く研究環境の変化をよく理解するために、ハイブリドーマや分子クローニング技術を利用することはできるものの、市販されている抗体は多くなかった80年代から90年代を回想してみましょう。
例えばあなたがこの時代の科学者で、まだ解析の進められていない新規タンパク質を大学の研究室で研究しているとします。あなたは論文発表を目指し、研究助成金の申請書を作成しています。当然、発見されたばかりのタンパク質に対する抗体を購入することはできません。このため研究目的の1つに、実験で使用するポリクローナル抗体やモノクローナル抗体の開発を加えます。研究計画には、いくつかの異なるアプリケーションでの新しい抗体の使用、既存の実験プロトコールの改変、あるいは新たなアッセイのデザインも盛り込まれるかも知れません。
図5:市販のRUO抗体が普及する前の1980年代の研究室の様子(Source: US Nat’l Library of Medicine)。
数十年前では、検証試験のデザインに利用できる標的タンパク質に対する全体的な文献的知識が少なかったことに留意してください。共通の機能の構造、配列の相同性をもつ関連タンパク質の知見は乏しく、新規抗体の開発、検証を行う場合には目的のタンパク質のほかに未知のタンパク質にも反応し得る可能性を認識しておく必要があります。また、詳細な細胞内局在や翻訳後修飾、標的タンパク質が関与する相互作用などの情報を踏まえて抗体の検証をするため、最新の文献を常に把握しておく必要があります。科学的知識はそれ自体で構築され、その一部は抗体の開発や検証に役立てることができます。
過去数十年から今日まで共通する学術研究の特徴の1つに、資金の獲得と成果発表の両方が必要で、これらが相互に依存する点が挙げられます。助成金の申請、研究の実施、論文の発表のプロセスを通じて、常に査読者からの批判的なコメントが想定されます。(そして、セミナーの時にいつも最前列に座って最も鋭い質問をしてくる教授。どの学部にも最低1人はいるものです。) このため査読に耐え、より強固な結論をサポートするため、より良い実験デザインが必要になります。
堅牢な実験デザインは研究のすべての側面に適用されるため、1980年代のシナリオでは、査読者から抗体を使用したアプリケーションやアッセイで抗体が特異的で高感度である裏付けデータを求められます。言い換えると、成果発表の前に検証データを得るためにより多くの時間を費やす必要があります。免疫からポリクローナル抗体を得るまでに数ヶ月の時間がかかり、モノクローナル抗体の開発には1年以上かかる場合もあります。さらに検証試験にはより多くの時間がかかることもあります。1980年代には、自作した抗体には検証試験のデザインと実施の両方が必要で、プロトコールの最適化も必要でした。思考に多くの時間がかかることは確実です。しかし、実験のスケールアップやデータ収集の前にこのような時間を費やすことで、データを信頼し、確信をもって成果発表を行うことができるようになります。
さて、現代に戻ります。研究分野の専門性がやや高い研究室や、特殊なモデル生物種を使用している研究室は、独自に抗体を作成して検証することもあります。しかし、まずは文献を読むかGoogleやBaiduで用語検索をする、あるいはBiocompare、CiteAb、Antibody Resourceなどの試薬に特化したショッピングエンジンを利用することがはるかに多いでしょう。こうすることで、抗体を購入する前に比較することができます。今日の抗体のエンドユーザー (すなわち研究者) は、抗体の必須知識のブログPart1で紹介した再現性の危機に気付いています。試薬の選択と購入のプロセスで、抗体の製造元が提供する検証データを評価し、論文に掲載されている、他の科学者がその抗体を用いて得られたデータを比較します。
とは言え、これは変化した考え方です。抗体の検証方法が気になって夜中に目が覚めてしまうのではなく、検証は抗体の提供元の責任であると見なしてしまうかも知れません。正直なところ、抗体の提供元の検証データを評価する場合、査読者に詳細に分析評価されることを想定し、自分で検証試験をデザインして実施した場合と同様の批判的な視点を持てるでしょうか?また、長文で密度の濃い論文の場合は抗体の検証データが実験法の補足の項目に詰め込まれてしまうこともあります。この場合、検証データは見逃されがちで、完全に除外されてしまうこともあります。全体的に、多くの研究で引用されている抗体でさえ、抗体検証の精度が低下していること、想定されたアプリケーションや生物学的モデル以外で抗体が誤用されることが、再現性の危機の一因となっています。
Googleで検索したり、抗体の提供元のウェブサイトを閲覧すると、検証に関する情報には大きなばらつきがあることが分かります。複数の提供元が同じ標的に対する抗体を販売している場合もありますが、これらの抗体の検証では目的のアプリケーションにおける特異性や感度がサポートされていないこともあります。また、どのような細胞株を使用したか、どのような処理を行ったか、抗体の正確な希釈率など、重要な詳細情報が検証データに含まれていない場合もあります。このような欠点があると、検証データの強固さを確認することが困難になり、実験の解釈の誤りや、再現性のない研究が文献に掲載されたりする原因となります。
多くの提供元が自身で検証試験を行っていますが、これはすべてのCST抗体で標準的に実施されてきたことです。しかし、再販されている抗体もあることにはお気付きでしょうか?つまり、提供元が自社で抗体の製造と検証をしている訳ではなく、別の提供元から購入した抗体のチューブのラベルを貼り替えて販売していることもあります。このようにブランドを変更された抗体の多くは意図されたアプリケーションではよく機能しますが、同じ標的に対する別の抗体を比較する場合には混乱の元となることがあります。つまり、別の抗体を比較しているつもりが、実は別のブランドで販売されているだけの同じ抗体であることがあります。
ロット間で検証の基準が異なることが、ばらつきの原因となる場合もあります。推奨アプリケーションごとに新ロットの抗体を再検証する提供元もありますが、そうでない提供元もあります (CSTでは、すべての抗体ロットを検証しています)。次回の抗体の必須知識のブログで紹介しますが、ポリクローナル抗体製品はロットごとに組成が異なる可能性があり、これらの場合は特にロットごとの検証が重要になります。
そして最後に、世界の一部の地域には、希釈した製品や、偽造した抗体や研究試薬を販売する悪質な販売元や再販業者の報告があることにも注意が必要です。幸い、政府やその他の販売元、科学コミュニティーは、このような活動と戦うための措置を講じています。
市販の抗体を購入する場合や、同じフロアの研究室の友人から分注した抗体を借りる場合には、ご自身の研究室で作製して検証した抗体と同じように考える必要があります。 80年代または90年代の科学者の立場になって考えてみてください。この時代の科学者は、商業的に開発された抗体と発表された論文の繋がりを把握する術が無い場合もありました。
自問してみてください。もしあなたが抗体を作成したとして、査読者に注目されること理解した上で「検証データ」の図を自信を持って提出することができますか?抗体の検証に用いたプロトコールは、実際の実験プロトコールに緊密に沿ったものですか?実験で用いたモデルを解析する上で、提供元の検証で使用された組織や細胞から得られる情報は有益ですか?あなたが用いる抗体を使用した別の研究論文に、著者が「製造元のプロトコールに従って」使用したことが確認できる詳細な記述や、必要に応じて追加の検証を行った記述がありますか?
これらの質問への回答のいずれかが「いいえ」である場合、問題の抗体を使用した予備実験を設定する必要があるかも知れません。あなたが利用するアプリケーションやモデル系に関して独自の検証試験を行い、提供元の検証データを補足する必要があります。抗体の再検証と (必要であれば) プロトコールの最適化を行った後、初めてスケールアップやデータの収集を進めることができます。実験ノートに詳細を記録しておくと、成果発表で実験方法の項目を作成する時に役立ち、査読者や一般の読者がどのようにして得られた実験結果なのかを正確に理解できるようになります。
したがって、繰り返しになりますが、抗体が適切に検証され、使用され、文書化されていることを確認して再現性を向上させる責任は、提供元 (CSTを含む)、抗体のユーザー (あなたを含む)、科学指導者、出版元の間で共有されます。抗体がどのように製造、検証されているかを常に念頭に置くことで、信頼性と再現性の高い実験結果が得られる可能性を上げることができます。
今回は抗体の発見から今日までの進歩の過程を概説しましたが、抗体の重要性をご理解いただき、科学研究の加速に役立てば幸いです。次回はポリクローナル抗体とモノクローナル抗体の詳細を説明し、ラビットとマウスを宿主とした抗体の利点と欠点を比較します。
次回は、抗体の必須知識Part 4:ポリクローナル抗体とモノクローナル抗体の比較です。
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