アミロイドカスケード仮説1は、30年以上前に提唱された理論であり、現在もアルツハイマー病 (AD) の診断と治療研究の中心的な存在です。アミロイド前駆体タンパク質 (APP) が、β-Secretase (BACE) とγ-Secretase (Presenilin 1、Presenilin 2、ニカストリン、APH-1、PEN2の複合体) によるプロセシングを順次に受けることにより、アミロイドβ (Aβ) ペプチドが生成され、蓄積し、凝集してAβ斑を形成するという仮説です。この仮説ではさらに、これらの斑の形成が、ミクログリアの活性化や神経炎症、Tauの過剰なリン酸化、Tauタウの神経原線維変化、神経変性につながるとしています。
この仮説には、長年にわたり否定的な意見もありましたが、近年のLecanemabやDonanemabなどの抗体医薬品の候補の開発や治療における大きな進展は、この古典的な仮説を支持しています。
アルツハイマー病の有望な抗体医薬品候補
昨年末、Biogen社とエーザイ社は、Aβ斑に結合して除去を促進する作用をもつ、抗体医薬品候補であるLecanemabの第III相臨床試験における有望なデータを発表しました。このデータは、Aβ斑の除去が、AD患者の認知機能の低下の速度を遅らせることを明示していました。この研究の有望な結果は、最終的には今年1月のFDAによるLecanemabの承認につながりました。
イーライリリー社もまた、今月の初頭に同社の抗体医薬品候補であるDonanemabの第III相臨床試験における良好な結果を発表し、同様にAβ斑の除去を促進し、AD患者の認知機能の低下の速度を遅らせることが示されました。DonanemabのFDA承認は、今年末に完了することが予想されています。これら2つの治療薬は、有望ではありますが、いくつかの注意点があることに留意しなくてはいけません。それでもなお、これらの抗体医薬品は、急激に増加している疾病に苦しむ患者さんにとって有望であることは間違いありません。
しかし、LecanemabやDonanemab、他の未来の治療薬における大きな課題は、その効果が患者の疾患のステージに大きく依存することです。これらの薬は進行を遅らせることはできても、元に戻すことはできません。したがって、医師がADを早期に診断して治療することができれば、大きな効果が期待できます。より良い診断ツール、ひいては治療計画を開発するためには、ADの基礎となる細胞や分子のメカニズムをより深く理解しなくてはいけません。また、これらのメカニズムに関連する、より特異的で強固なバイオマーカーを同定する必要があります。
AD/PD 2023で発表された、新たなアルツハイマー病の治療薬や診断ツール、メカニズム
神経科学と神経変性研究の分野では、依然として疾患の早期発見と新たな治療法が注目されています。これは、スウェーデンのヨーテボリで開催された今年のAD/PD 2023 Alzheimer's & Parkinson's Diseases Conferenceに、4,000名以上の参加者が集まったことからも明らかです。この5日間にわたる大会では、治療法の開発や診断ツール、神経変性のメカニズムに関する議論が中心となりました。
治療法の開発:Biogen社によるASOの販売
AD/PDで人気を集めたセッションでは、Biogen社がTauのアンチセンスオリゴヌクレオチド (ASO) であるBIIB080の第I相臨床試験の初期の結果を示し、その全データは4月に論文として発表されました。この治療薬は、Tauタンパク質の総発現量を減少させる作用があり、軽度のAD患者に投与されました。その結果、ASOは可溶性Tauを60%減少させることができ (脳脊髄液 (CSF) を用いて測定)、さらに脳内のTauの神経原線維変化を軽減することができることが示されました。
この研究は、本大会で非常に高く評価され、参加者からの大きな反響がありました。しかし、この研究は小規模であり、FDAの承認を得るにはいくつかの課題がありますが、アミロイドカスケードの後期段階への介入は、治療法を発展させるための有益な発見であると考えられます。
アルツハイマー病シグナル伝達のインタラクティブパスウェイ図:アルツハイマー病の分子細胞生物学
CSF中の可溶性Tauの発現量と脳内のTauの神経原線維変化の相関は、神経変性の初期段階にある人を特定するための、より良い診断ツール開発の可能性を示しています。
診断ツール:体液バイオマーカー
ASOの結果をはじめとする、AD/PD 2023の大会で行われた多くの講演では、神経変性の検出とモニタリングを可能にする強固な体液バイオマーカーの必要性が強調されました。研究者は、リン酸化TauにおけるThr217やThr181、Thr231などの特定のTauのリン酸化部位や、Aβ40/Aβ42 比、NfL、GFAPといった他のマーカーの利用に着目していました。その内の1人であるヨーテボリ大学のKaj Blennow氏は、自身の全体講演において、ELISAプラットフォームにCSFや血液バイオマーカーをを用いることの重要性について述べました。
FastScan™ β-Amyloid (1-40) ELISA Kit #20882 は、ヒトのAβ-40を検出しますが、Aβ-43、Aβ-42、Aβ-39、Aβ-38、Aβ-37ペプチドは検出しません。#20882を用いたヒトβ-アミロイドペプチドのパネルの、450nmの吸光度を左に示しています。β-Amyloid (1-40) antibod (上段) およびβ-Amyloid antibody (下段) を用いた対応するウェスタンブロットの結果を右に示しています。
CSF中のこれらのタンパク質の発現量は、神経細胞の損傷や神経変性と相関することが示されています。CSFを用いたタンパク質の検出には、CSFに含まれるタンパク質は中枢神経系 (CNS) 由来であるという利点があります。しかし、患者からCSFを採取することは、侵襲的でコストのかかるプロセスであり、集団レベルにスケールアップすることは困難である可能性があります。そのため、多くの研究者が血液ベースのバイオマーカーに移行することを目指しています。血液を用いた場合、現在研究されているマーカーの多くが脳の外でも発現しているという課題がありますが、血液サンプルを採取して解析する方が侵襲性が低く、コストもかからず、長期的にはより拡大可能な手法かもしれません。
体液バイオマーカーのアプローチにおける現在の課題は、疾患を識別する能力に欠けることです。特定の神経変性疾患に関連する、翻訳後修飾 (PTM) を受けたタンパク質と未修飾のタンパク質を用いてパネルを作成できることが理想的です。疾患の初期段階を特定するだけではなく、どの疾患であるかを識別できることは、今後、神経医学における治療方針の個別化を図る上での重要な鍵となるでしょう。
この長期的な目標を達成するためには、ADや軽度認知障害 (MCI)、パーキンソン病 (PD)、進行性核上性麻痺 (PSP)、前頭側頭型認知症 (FTD)、筋萎縮性側索硬化症 (ALS) などの神経変性疾患に対するバイオマーカーの特異性を確立する必要があります。バイオマーカーが特定されることにより、これらのタンパク質を検出するための高感度かつ特異的な抗体ベースのアッセイなどの、より良いツールが開発されることでしょう。これらの開発への道のりは、各神経変性疾患における細胞や分子レベルのメカニズムをより深く理解することから始まります。
神経変性のメカニズム:神経炎症、ミクログリア、TREM2
神経変性の特性であり、アミロイドカスケードの重要な側面である神経炎症は、細胞および分子レベルでの神経変性研究に依然注目が集まっています。
神経炎症は、疾患や損傷状態においてミクログリアやアストロサイトなどのグリア細胞が活性化することで生じます。これらの活性化状態や、それに先立つシグナル伝達カスケードは、この分野では非常に注目されています。ADPD会議では、ミクログリアの活性化状態における神経炎症を研究することの重要性を強調するセッションがいくつかありました。特に、骨髄球に発現するTREM2 (The role triggering receptor expressed on myeloid cells 2) 受容体がこれらの事象に果たす役割は特に興味深いものでした。
Christian Haas氏は、TREM2依存性のミクログリアの活性化をアップレギュレートしてAβの除去を促進する、現在第1相臨床試験中のDenali 4D9抗体クローンに関するデータを発表しました。同様に、Vigil Neuroscience社は、TREM2のアゴニストである低分子リガンドの積極的な開発について議論しました。
この分野では、進展があるにもかかわらず、TREM2依存性およびTREM2非依存性のミクログリアの活性化に関連する下流の標的とシグナル伝達カスケードについては、依然として多くの不明な点があります。ミクログリアの活性化状態を識別し、その活性化において特定のタンパク質が果たす役割をさらに明確にすることができる抗体ツールは、神経炎症と神経変性に関連するメカニズムを理解する上での鍵となります。
AD/PD 2023でのCell Signaling Technology
私たちは、AD/PD2023で発表された画期的な研究に刺激を受け、次世代のAD診断・治療を可能にする抗体ツールの開発に向けて、新たな活力を得て研究室に戻りました。
AD/PD 2023でミクログリアの活性化状態の検出とキャラクタリゼーションに関するポスターを発表する私 (ジョーダン・ハーシュフェルド、アソシエイト科学者) とリチャード・チョウ博士 (CSTの神経科学部のアソシエイトディレクター)。
CSTは、ADに関連する抗体ツールに関する2つのポスターを発表しました。1つは、ミクログリアの活性化状態を検出して特性解析することの重要性に注意を促すものであり、もう1つは、研究者がミクログリアの活性化の下流におけるTREM2シグナル伝達カスケードを調査する方法に着目しました:
AD/PD 2023の発表者や参加者からも支持されたように、神経科学の分野は、神経変性疾患の介入に向けた革新的で影響の大きいソリューションにこれまで以上に近づいています。
来年の大会でどのような議論がなされるのか、さらなる展開を期待したいと思います!
参考文献
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Hardy JA、Higgins GA. Alzheimer's disease: the amyloid cascade hypothesis. Science. 1992;256(5054):184-185. doi:10.1126/science.1566067
23-EMG-41000