ヒトゲノムのシーケンシングが完了した後、私たちは腕まくりをして、複雑なプロテオームを解明するという困難な作業に取り掛かる時が来ました。つまり、プロテオミクス、発現しているタンパク質すべての機能を研究する時代が始まりました。どの細胞間でも
それほど大きな違いのないヒトのゲノムと違い、プロテオームは例えば肝細胞と脳細胞の間や、健常な細胞とがん細胞の間、あるいは、異なる発生段階における個々の細胞の間で異なるため、これは特に複雑な作業です。この難題にチャレンジするために、Human Proteome Projectが設立されました。このプロジェクトの使命は、タンパク質に基づいた体の分子構造をマッピングすることにより、全てのヒト遺伝子の特性を分析しようとすることです。このようにして、このプロジェクトは、遺伝子の生物学的機能や分子的機能を解明し、疾患の診断や治療の発展を促進するリソースとなるでしょう。
20,000個ほどの特定された遺伝子は、100万個にも及ぶタンパク質の形、つまりプロテオフォームに翻訳されます。では、何故遺伝子の数とプロテオフォームの数にそれほどの差があるのでしょうか?プロテオームの複雑性は、一部は代替のプロモーターと遺伝子のスプライシングによるものですが、大部分はタンパク質の翻訳後修飾 (PTM) によるものです。PTMとは、特定のアミノ酸へのリン酸基、アセチル基、メチル基、ユビキチンなどの付加や、タンパク質の開裂などを含む共有結合的な修飾のことです。このような修飾は、タンパク質の活性や細胞内局在、分解、タンパク質間相互作用などに不可欠です。バイオマーカーの特定や治療薬の開発には、病態におけるPTMの役割を理解することが欠かせません。
質量分析 (MS) は、サンプル内のタンパク質とそのPTMを大規模に研究するために使用される、感度の高い技術です。質量分析技術の進歩により、プロテオミクスは飛躍的に発展しました。最も確立され、広く使用されているのは「ボトムアップ」プロテオミクスと呼ばれる方法で、細胞や組織サンプルをプロテアーゼ (トリプシンがよく使われます) で消化して短いペプチドにした後、MSを用いて同定する方法です。プロテオフォームの特性は、ペプチドの情報から推測します。「トップダウン」プロテオミクスでは、質量分析の前にサンプルの消化を行わない方法であり、ボトムダウンほど広くは使われていませんが、非変性タンパク質 (分解産物、アミノ酸配列の変動、およびPTMの組み合わせ) を解析することにより付加的な情報が得られるため、臨床研究への応用が期待されています。
MSには、多くの種類があります。プロテオミクスで一般的に使われるのは、液体クロマトグラフィータンデムMS (LC-MS/MS) です。LC-MS/MSでは、消化されたペプチドは、高性能液体クロマトグラフィーで分離された後に、質量分析計にかけられます。この装置により、未変化ペプチド (MS1) の高精度の質量対電荷比の測定値と、同じペプチドの断片 (MS2 or MS/MS) が収集されます。このような質量対電荷比の測定値は、全タンパク質のデータベースにマッチされ、ペプチドの同定が可能になります。
質量分析をベースとするプロテオミクスは、リン酸化、ユビキチン化、アセチル化などの新規の基質の特定や、薬剤標的の同定と検証、バイオマーカーの発見、薬物の標的外作用の解明、ならびに、薬剤や生物活性化合物の作用機序の探索に用いることのできる、強力なツールです。
次回は、複雑な生物サンプル中のPTMの同定と定量化のための、2種のボトムアップアプローチを取り上げます。ご興味のある方は「プロテオミクスをシンプルに」と題するウェビナーも是非ご覧ください。
各アミノ酸がどのPTMで修飾されたかを示す参照ツールが必要ですか?「アミノ酸の翻訳後修飾 (PTM) 」のポスターをダウンロードしてください。