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低酸素とがん:酸素の感知、代謝、腫瘍形成におけるHIF-1αの役割

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酸素分子 (O2) は、後生動物の命の必要不可欠な要素です。O2には数多くの役割が存在しますが、ATPという形のエネルギーを生成する代謝連鎖反応である酸化的リン酸化においては、最終的な電子受容体 (酸化剤) として機能します。

そのため、好気性生物による代謝の恒常性の維持には、O2 の安定供給が必要不可欠です。これを実現するために、O2供給の変動を感知して応答するメカニズムは、生化学的に非常に複雑な形へと進化しました。

低酸素とがんにおけるHF-1複合体

2016年、HIF (Hypoxia-Inducible Factor) 複合体が生理的なO2レベルを感知してこれに応答するメカニズムを解き明かした功績が評価され、3人の医師および科学者 (William G. Kaelin博士、Peter J. Ratcliffe博士、Gregg L. Semenza博士) がアルバート・ラスカー基礎医学研究賞を受賞しました。

hypoxia antibody sampler kit_thumbnail

本ブログで取り上げるマーカーの多くに対する試薬が含まれる、CST Antibody Samplerキットをご覧ください。

Hypoxia Pathway Antibody Sampler Kit #15792
Hypoxia Activation IHC Antibody Sampler Kit #43065

 

現在、HIF-1複合体は低酸素応答のマスターレギュレーターとして広く認知されています。HIF-1は、O2応答性サブユニットHIF-1αと、恒常的に発現するサブユニットHIF-1βからなるヘテロ二量体の転写因子です。HIF-1複合体は代謝や細胞増殖、アポトーシス、血管新生といった様々な細胞プロセスを制御する遺伝子のプロモーター上に存在する、低酸素応答配列 (HRE) に結合します。

関連:がんにおける代謝の役割

正常なO2レベル (酸素正常状態) においては、HIF-1標的遺伝子の発現は抑えられています。細胞の酸素レベルはPHD (prolyl 4-hydroxylase domain) タンパク質群によって感知され、HIF-1αサブユニットの (特異的な) プロリン残基が水酸化することにより酸素の存在に応答します。これによりE3ユビキチンリガーゼの基質認識サブユニットであるpVHL (von Hippel–Lindauがん抑制遺伝子産物) への結合が促進され、HIF-1αのpVHLへの結合は、したがってHIF-1αのユビキチン-プロテアソーム系の分解を媒介します。

低酸素条件下では、酸素の供給が減少することにより、PHDタンパク質群によるHIF-1αのプロリン残基の水酸化が抑制されます。水酸化していないHIF-1αは、水酸化したHIF-1αより安定性が高いため発現が増加し、HIF-1βと相互作用してHIF-1標的遺伝子の転写を促進します。

多くの研究結果から、発がん段階にある細胞は、正常なHIF-1αの制御機構を利用して細胞内のHIF-1αレベルを変化させる可能性があることが分かってきました。例えば腎明細胞がんでは、pVHLの機能欠損によってO2依存的なHIF-1αの分解が抑制され、HIF-1αの転写活性が亢進することが分かっています。また、EGFRやHER2といった受容体型チロシンキナーゼを活性化する変異によって、PI3K/Aktパスウェイが活性化し、これが一部HIF-1α mRNAの翻訳促進に寄与する、という知見もあります。

がん細胞が盛んに増殖しその代謝性需要が血管新生の限界を超えると、腫瘍の構造もHIF-1αを活性化し得ると考えられます。すると腫瘍細胞集団周辺の微小環境で代謝に必要な酸素の供給が不足し、HIF-1の活性化が起こると考えられます。また、HIF-1の活性化によって引き起こされるエネルギーの獲得様式の変化 (代謝リプログラミング) は、間接的にがんの進行を促進することが分かってきており、特に最近では、HIF-1パスウェイのがん免疫への関与が指摘されています1, 2。例えば、固形がんへのリンパ球の浸潤にはCD8+ T細胞のHIF-1αの活性化が必要であることが示されています。さらにHIF-1は、VEGF (Vascular Endothelial Growth Factor) などの血管形成促進因子と協調的に脈管構造の形成に関与することが示唆されています。反対にHIF-1シグナルが、がん微小環境で免疫抑制に寄与することを示す知見もあり、がん生物学におけるHIF-1の役割は非常に複雑であることが伺えます。

この驚くべき複雑性から、いくつかの興味深い仮説が生まれています。例えばこのようなことからがんの微小環境における低酸素状態は、がん治療に利用し得るのか?もしそうであれば最大の抗がん効果を得るために、HIF-1を腫瘍環境内でどのように操作すべきか?現在、さらなる基礎研究、臨床研究およびその橋渡し研究が進行しており、未解決の課題の解決やがんやその他の疾患とHIF-1の関係を解き明かす取り組みが進んでいます。

HIF-1αについてもっと詳しく知りたい方は、以下のパスウェイ図をご覧ください:

HIF-1αの研究に興味をお持ちの方へ

CSTは、低酸素に着目したがんの基礎研究やトランスレーショナル研究をサポートする、新たなラビットモノクローナル抗体HIF-1α (D1S7W) XP® Rabbit mAb #36169を開発しました。この抗体は、HIF-1αを接着細胞では免疫蛍光染色で (下図を参照)、 浮遊細胞ではフローサイトメトリーで検出できます。

 

36169_HIF-1α antibody hypoxia marker

未処理 (左) または塩化コバルト処理 (500 μM、24時間、右) したHep G2細胞を、HIF-1α (D1S7W) XP® Rabbit mAb #36169 (緑) を用いて免疫蛍光染色し、解析しました。CoCl₂処理した細胞内では、HIF-1αが核に蓄積しており、低酸素経路が活性化していることが分かります。DyLight 554 Phalloidin #13054 (赤) を用いてアクチンフィラメントを染色しています。

 

この抗体は、ChIPやChIP-seqで使用することもでき、HIF-1制御配列の解析やHIF-1α結合部位のゲノムワイド解析にも利用できます。これにより、様々な生物学的条件下でHIF-1αが標的遺伝子をどのように制御しているのかについての新たな知見を取得できます。

CST抗体:HIF-1α (D1S7W) XP® Rabbit mAb

クロスリンクさせたMCF7細胞由来のクロマチンを塩化コバルトで一晩処理し (100 μM)、HIF-1α (D1S7W) XP® Rabbit mAbおよびSimpleChIP® Plus Enzymatic Chromatin IP Kit (Magnetic Beads) #9005を用いてクロマチン免疫沈降を実施しました。DNAライブラリーの調製には、DNA Library Prep Kit for Illumina ® (ChIP-seq, CUT&RUN) #56795​を用いました。この図は、HIF-1αの既知の標的遺伝子であるARRDC3遺伝子全体への結合を示しています (以下のChIP-qPCRデータも参照してください)。

 

CST抗体:HIF-1α (D1S7W) XP® Rabbit mAb
参考文献
  1.  2010 Feb;20(1):51-6. doi: 10.1016/j.gde.2009.10.009.
    Epub 2009 Nov 26.
  2.  2017 Nov 13;32(5):669-683.e5. doi: 10.1016/j.ccell.2017.10.003.
Jianxin Xie, PhD
Jianxin Xie, PhD
Jianxin Xie, PhDは、代謝分野で20年以上の経験を持つCSTのデベロップメントサイエンティストです。

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